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  • Kentaro Osawa

君の膵臓を食べたいⅡ_03



「おーい、北村。ってあれ山内かよ、何してんのー?」

 

 その声は高田だった。彼は教卓側の戸口に持たれ、片足を交差して、肩にかけたブレザーの端を指先で掴んでいた。


それはどこか気取ったポーズに見え、僕は山内の前で良い格好をしてみせる高田に対して、軽い優越感を抱いた。


「ああ、ちょっとね」僕は言った。


高田にはこう伝えていた「追いつけそうだったらそうするけど、待っててくれることも無いから」

だから普段なら嬉しかったかもしれないが、今は彼なりの気遣いが余計に思えた。


「教室に入ったら山内がいてさ、世間話してたところだよ」僕は言って、別に汚れてもいない机の表面を両手でサッと払う仕草をしたが、表面を貫通している穴に片手が引っかかり、その痛みで反射的に片手を上げた。


何枚ものテスト用紙を突き破る原因となったこの穴は、何代か使われてきた机で既に凹んでいた部分を、授業中にペンで突いているうちに、どうやら木工用のパテであったらしく、それが脱落し貫通したものだった。


高田から「何やってんだよ」と笑われながら、

僕は上半身をかがめ、引き出しの中から読みかけの『ハンニバル(上)』を取り出し、古着屋で、渋すぎるかもしれないけど格好いいと思って買ったイタリア製の黒い型押しレザーのセカンドバックに滑り込ませ、誰に伝えるつもりも無く「さて」と言った。


山内が言った。

「そう、世間話をしてたの...それにしても、北村くんは何ていうかさ」彼女は言い淀んだ。


僕は山内から彼女の自分に対する印象を受け取ることを待ったが、しかし彼女は笑いを我慢しているようで、期待するには値しない言葉が続くのは明らかだった。


もし高田もそれを察しているのなら、続きを待ちわびているのは彼だけになるだろう。


僕は「なんだよ」と言って「どうせ勿体ぶるようなことでも無いんだろうし...」


近頃、クラスでは敢えて話に間を持たせるのが流行っていた。


あるとき国語の教師が授業中に雑談を始め、

「相手に特に伝えたいことはですね、その直前で一呼吸を置いてから話すことで

......はい、高田くん起きなさい!...こんな感じで印象深く伝えることができます」


(このとき高田はガバっと跳ね起きて「完璧な死を」と言ったらしい。それを聞きとることの出来た周辺から、どよめきに混じった笑いが起こったのが気になり、後ほど高田と席の近い山内咲良に尋ねたのだった)


と、例としては妥当か怪しいパフォーマンスを交えて、クラスのみんなに教えたことがきっかけだった。


その授業直後から「きょ.......うかしょ(教科書)見せてく...れない」のような、途切れ途切れの言い回しがあちこちで言い交されるようになった。もちろん冗談として。


中にはこれを誇張して、朝の時間に何か言いかけて、放課後に話の続きを神妙に語って聞かせる者も現れた。(実に話しにくいことなのだが.................今朝、言いかけたことなんだがね。放送室の壁のブツブツはね、非常に気持ちが悪い)


彼女の場合、流行りに乗ったのかどうかは分からないが、最初からそうするつもりだったという様子で、わだかまりなく話の続きを繰り出した、


「北村くんは、読んでるものも大概だけど...。その本って映画で見たことあるんだけど、私、お母さんと二人で間違えて見に行ったんだよね。


最初のあたりから嫌な予感がしてたんだけど、前半の、ほら...あのシーン(精神科医レクター博士の患者が、数種のメタンフェタミンとLSDの混合剤を、もっと手軽な興奮剤であると騙された上で服用し、前後不覚の状態でレクターから凶行の限りをなされる)の途中で二人で出てったからね。それもなんだけど、」


彼女はここで鼻で笑ってから続けた。


「そのカバンてどこで買ったの?学校休んだ日に再放送のドラマ見てて、主人公が使ってるカバンなんか見たことあるなーと思ってさ」


 彼女の態度は明らかに馬鹿にしていて、僕は軽くぶたれた様な感じがした。


(何せ、とても気に入っていたし、それに誰とも被っていなかった。


今クラスの大半の男子たちの間では有名アウトドアメーカーのバックパックが流行っていた。カラーバリエーションが豊富だったから、みんな色こそ違えど、小遣いやアルバイト代でやりくりする高校生にとって妥当な価格帯のモデルは限られていたから、みんなデザインは同じだった。


高田は、ワンランク上のモデルを使っていて、パット見はわからないけど、少し生地が厚いだとか形が良いだとかで、薄くて形の劣る連中から羨ましがられていた。


女子の方は一層と多様性に欠く感じで、表面にマーガリンでも塗りつけたみたいにヌラヌラと濃度のある光沢を持った素材が使われた、小さめの、やはりバックパックで、流行に則っていることを示すためには、色がミントブルーであることも必須条件だった。


狂気じみているのは、これだと教科書が入らないから、みんな学校指定の手提げも併用しているということだった。


これに対して「あえて不便にするのが良いのね」と、母親の様なコメントをしている山内は、学校指定のカバンに銀の小さなハート型のキーホルダーをぶら下げて使っていた)


「そんなことはいいじゃん。とにかく忘れ物も回収できたから、この辺で...」と僕が言ったのを遮り、


高田が調子良さげに答えた。

「そのカバンってさ、駅の裏にある古着屋で買ったよな」


「ああ、そうだよ。別に店を忘れていたわけじゃないから」

僕は苛立ちが声に現れたことを誤魔化すために、立ち上がって両肩を後ろに反らし、何事もなかったという感じで「さて、帰るわ」と伝えた。


完全たる開き直りだったが、体がほぐれたくらいのことで、既に高田へのムカつきは収まっていた。


というか、高田はそこまで皮肉な男じゃなかったし、彼が少しでも分かりにくい方法で他人を貶めようとした場面を見たことはない。


高校生活においてクラスの中で取り交わされる会話という会話に残酷な影が潜んでいるのは、うんざりさせられることだったし、いつも標的になっている面々には心から同情させられた。


しかし高田の言動にそれを見つけるのは難しいことだった。


だから、僕は彼と仲良くしているんだろう。この考えにいくらか気分が軽くなった。


今や、微笑んでいる山内の皮膚を漏れて腐敗した臓腑の匂いを嗅ぎつけることができるような気さえした。


当てつけのようだったが、僕は先程に山内から打ち明けられた話を、彼女に今ここで繰り返さざるを得ない状況を作ろうと試みた。


続く